「粋」

 初夏の候、7:30には学校に着いてしまった日。シーンと静まりかえった朝の学校。自分の足音を聞きながら教室に向かう。入口の戸を開けると、花の香りが朝のヒンヤリとした空気とともに出迎えてくれた。カーテンは窓々の端に整えられ、窓は枠の真ん中で揃いながら開けられていた。でも、教室には誰もいなかった。「おはよう」という声が後ろからしてきた。その人とはクラスメートでありながら、挨拶を交わすのは初めてな気がした。鞄を持たずに入ってきたところを見ると、こんな気持ちのいい教室にしたのは、その人のようだ。「おはよう」と挨拶を返した。その人は、またどこかに行くようで、「どこへ行くの?」と訊くと「生徒会室」と。自分の机に道具を入れて、座ろうと椅子を引いた。「ガガーッ」という音が教室中に響いた。さっき、その人が出て行った入口に何気なく目をやると、曇ったガラス越しに朝陽が見えた。ガラにもなく、そのガラスの手跡を拭きたくなった。…きれいになった。「あっ」、誰かが来たようだ。窓を拭いていたことが照れくさくて、ついトイレに行こうと廊下に出る。隣りのクラスの人だった。「おはよう」、挨拶を交わしてしまった。「おはよう」は、朝早い人たちにとっては合言葉のような気がした…。

 「粋」〜心意気というか、うまく表現できそうもなかったので「初夏の朝」に例えてみました。ただ、こんなことを書いたり語ったりすると、“気取ってる”・“カッコつけてる〜”と言われます。生き方としてのカッコのつけ方、なおかつそこに誰かを喜ばせることを目指すカッコよさを考えたり語ったりすると、“くせ〜”・“わざとらしい”などと嘲笑混じりに言われます。ただ、断っておきたいことがあります。それは提案しようとする「粋」な言動は、もちろん「さりげなさ」を基にするものですから本来は語ること自体が野暮なことだとは承知しております。ただ、語らないと息絶えてしまう気がするのです。生き方ではなく、外見にブランド品を飾り、しぐさや様相だけで自分が良く見えるようにするカッコのつけ方が野放しにされている昨今、息苦しいのです。

 「江戸っ子」な「粋」を語りたいのではないのですが、1つ良い例えを見つけたので。江戸前鮨というものがありますね。その条件は、ネタが東京湾で獲られたものであること、握り鮨であること、そして職人が「仕事」をしていることなのだそうです。それが即ち「粋」なものというのです。特に3つめに私は感じるのです。鮨発祥の江戸時代江戸の街で、冷蔵庫のない時代に腐りやすい魚を美味しく食べさせる商売をするために考え出された数々の技こそが「江戸前」の「技」〜「仕事」なのです。特に小鰭は、そのままだと食えたものではないのだそうです。それを手間をかけ、「通」には一番人気にしたあたりが「江戸前」なのだそうです。仕事をしても仕事の跡はみせず、素材のままのようで素材の味を素材以上に出しているあたりなのだそうです、「粋」です。人を喜ばせるところに“あっ”と言わせたくて、それでいて仕事の跡を見せないさりげなさというか、カッコつけなあたり、「粋」だと思うのです。

 「粋」な人、そばにいますか?
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